水晶玉
上の女の子が産まれる時に
九段の社会教育会館で少しご一緒したお母さまが、「無事の出産を祈って」と、この水晶玉をくださったのですが、忙しさにかまけて、子どもの母子手帳とケースごと見当たらなくなっていたのが、昨日、見つかった。そしたら、
それまで欝々としていた気持ちが
ストンと水底に足がついたように浮かび上がったような気がしたのでした。

直径一センチくらいの小さな水晶玉ですが、なんだかうれしいありがたいです。
プレゼントしてくださったお母さんはもういらっしゃらない、
本当に不義理ばかりの人生・・・・・・。
小さいのに存在感がある、なんだかうれしい。

一体、どれを優先させるべきなのか?

2016さくら
この一年、落選中2年間、さぼっていた穴を埋めようと私なりに
全力で頑張ったように思う。
けれど、問題が多すぎて、処理能力をはるかに超えてしまった。仕事のヒット率は高く、住民の声と連動すればそれなりに動かせる実感はある、

子どもたちは大きくなり、心配ばかりして、何度テレビのコードを抜いて仕事に出かけたことか、
けれど、一番心配なのは「お母さんあなたです!」という子どもの見解は否定できない。

次の一年、日本という世の中では、参議院選ともしかすると同日選挙がある。

70年前、気が遠くなるような多数の犠牲者の代償としての平和憲法の存在、
このおかげで、少なくとも朝鮮戦争やベトナム戦争などに加担しなくて済んだ?のに、
アメリカとともに戦争できる国にひた走る安倍政権との攻防。

同時に、次の一年、千代田区という世の中では、4年に一度の区長選挙がある、ことは間違えのないこと。私たちのグループかつて「拓く会」、いまは「ちよだの声」は、欠かさず区長選挙を戦ってきて都議選も基本的には打って出てきた。1勝99敗でも、あきらめずに続けてきた。前回の区長選以外は、手作り市民派の子どもと大人のたたかいのような選挙であったにも関わらず、すべて、1000票から2000票差の接戦を演じてきたのは、地べたの区民が、右でも左でも、極右でも、もしくは極左でもいいから、都心千代田区を守ってくれる人はいったい誰なんだという叫びのようなものがいつもいつも渦巻いていたように思う。

革新勢力は、どうしてか、国のことは戦うけれど、地域のことは戦わないような・・・?!

私の勘違いなら良いけれど、この一年そう思うことがあまりに多かった。
率直にショックだった。
いや、私の勘違いかもしれないから、もう少し冷静に考える必要があると思う。

なぜ、こうなっているのか、どうすることが、未来の人々に責任を持つことであるのか?
この一年、力を余して引退した、先輩区議たちの横やりと置き土産に翻弄されることも
多かった。これがなければ、もっと前に進めたのにと思うのでまことに残念。

少し、力を蓄えて、この一年の、わたしなりの答えを出したいと思う。

初めて家族そろっての、群馬県議会見学

県議会議長席にて3月31日桜満開の中、亭主が戦う?群馬県議会と
グループホームのお父様のところに、
子どもたち連れ立って、行ってきました。

さすが、保守王国群馬県、
資料館や県民のための展示が充実、総理大臣を輩出した県の地図と歴史まであって、本当に面白かった。九段会館のような歴史的建築物も博物館や記念館、子どもたちの上毛かるた競技場として残し、活用している。したたか。郷土愛の強さに右も左もないのだなあと思う。群馬県では、リベラル系首長(小寺さん)と県議会の一時期、激しい対立の結果、県議会の改革が進んだらしい。一問一答や対面式の質疑の質疑放映など・・・。参考になる。

その後、グループホームへと。夫婦別姓に反対だった義父には、やっぱりごめんなさいという思い。

人生の折り合いのつかなさに、答えなんか出ない!!

ただ、政治道楽ともいえる、好き勝手な父親と母親の狭間で、身長だけでなく、人格的にも、親を追い越しつつある子どもを感じたことは収穫だった。
お茶の水小学校の卒業式での校長先生の話、美味しいトマトは、乾いた土地で水もやらないような困難な土壌でこそ甘く美味しく育つのだと、恵まれない環境、「逆境にこそ学べ」との話のたとえを思い出した。

どうぞ、2016年度もよろしくお願いします。

2016年4月4日   小枝すみ子