沖縄の語り部「大嶺初子さん」のお話

語り部さんの講話、忘れないうちにほんの少しでも、メモをさせていただく。朝ごはんの前に。

今日は昨日のお話で聞いた中にも出てくるいくつかの地名場所、逃げまどい人が亡くなった場所、南部戦跡、嘉数高地や糸数の壕、摩文仁の丘など巡る。千代田区のプログラム素晴らしく良く出来ている。
大嶺さんの小学校2年時の話だという。
とつとつとげきすることなく、私はお話が上手くないですからわからないでしょうとおっしゃりながらの話が、言いようのないほどわかりやすい。どの映画より、どの書物より、どの学者の話より。
今まで断片的に聞いていた沖縄の話が、多分初めて、点と線が面になって私の前で描き出されたような気がした。(私の知識など生半可だから、もっと深く理解する人もいるのだろうろ思いながら、聞いた。)
今日は時間がないからそのキーワードだけ記しておく。
72年終わらない戦争
天皇が神、皇民化教育、亀の甲墓
兵隊さん来た、喜び、軍歌ならう、あなた方助けるために来たという兵隊さん
防空壕つくる
国民学校兵舎に
鬼畜米英
どうせ勝つ
それでも勝つ
トンボのような飛行機
対馬丸魚雷でやられる
自分は次の船で行く予定がとりやめ
4/1アメリカ軍上陸
一番狭いところから米軍上陸
無条件で上陸
三分の一は北へ
3分の2は南部へ
それでも兵隊さん守ってくれると
戦争夫婦喧嘩軽く見ていた
2日がかりで飛行場はやられる
第一第二第三の壕探す
祖先安置した岩の下に奥行きないが子供が座れるだけの壕
爆弾投下の音で距離を聞き分ける
防空壕でネズミのような生活
それでも激しい戦いまだ見えず
5月後半、頻繁に飛行機くるように
ウシジマ閣下大本営に降参しようと通知
松代壕が遅れている
頑張れ
南部はガマが多い
重傷者は青酸カリ等で死なせる
動けるもの南部に撤退
物資兵隊薬品輸送する戦艦ヤマト撃沈
6月末何もなくなって
軍を解散
ピンポン球のおにぎりさえもなくなる
軍隊解散
解散後は自分で生きるだけのもの探す
10月10日
平和のイシジ高台?安全と言われていた
鍋釜スコップ食料持って家族で移動
その時見た風景
森は火災草木真っ赤
初めて戦争の恐ろしさ見て気絶
死人肉の破片焼けただれて生きる人
助けてください
この世にこんな地獄があるのか
摩文仁危ないから糸満に
死んだ人見ると羨ましいと思う
畑の兵隊ウジが湧いて生きる
取ってあげるとこれを食べていると
水のない苦しさ
死んでる人が羨ましい
土を食べる人
サトウキビの根っこ
帰らないお父さん
死んだんだね
人の手頭不発弾
それでも助かった父、私
神様ありがとう
喜屋武岬に行こう
あとは家族一家死ねるところ探す
水タンクの中に入る
父はみんなで死のう
私は生きたい
何もないなぜ生きられる
惨めな気持ちワーワー泣く
心配するな皆一緒に死ぬからと父
父、手榴弾抜いたのに爆発しない
米兵に糸満に連れて行かれる
年寄りのおじいちゃん
沖縄のおじいちゃんに見えたが兵隊さんだ
手榴弾は投げるかぶつけるかしないと爆発しないのだと習う
米兵にもらう食料毒と思って皆捨てる
戦争惨めなこと
9条
何を目指しどう生きようとしたか
恐怖でしかない日々
私の使命
戦争は人間がやるもの
世界平和を守りたい
テロのない平和を維持するために
どうしたらいいのか
サンフランシスコ条約
島津はん
王朝時代
沖縄

命が大切
みんなを信じていた神の国沖縄に戻りたい
復帰運動
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