小学校の卒業というイベント

歌詞カード区長選と中学受験が同じ日という運命

 今年は23日の区長選投開票日が、受験や適性検査のピークの日程でした。
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年前も21日が区長選の投開票日であり、長女の受験の日でもありました。

 今年は下の小学生男子が、4年前は長女が何らかの判定を受ける日でした。
前日の夜8時の選挙のすべてが終わると、翌日は打って変わり、早朝から子供の付き添い。
受験、もしくは適性検査に行く、急激にスイッチが変わる経験を繰り返すことになりました。

 わざとらしいけれど、「あなたも孤独に耐えてよくやったね、よくがんばった、私ももう終わったから、お互いお疲れさんだったね」とかいいながら、受験会場に行く、気になるのはその日の
区長選の結果と、子供の受験結果、同じ日の結果となるのはなんの因果だろうかと・・・。

 神様は、二つに一つしかかなえてはくれない、4年前は、子どもの方を、今回は区長選の方をかなえてくれた
ということのようで、ある意味、なかなかバランスのある結果でした。

 4年前と違うのは、区長選挙が「お手伝い」であったものと、「独自にたたかったもの」との違い、かなり違いました。
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年前は独自に本当に善戦いただき、感動の戦いでした。私はそれに夢中で、子どものことには興味がありませんでしたし、私たちが千代田区の将来を背負っているという自負も少なからずありました。

 今回は私たちはささやかなお手伝いなので、前後も本番も、ありがたいことに、結構時間に余裕があります。そうした中で、
昨日、卒業イベント練習というのに参加してみました。卒業という行事は、卒業から始まっていると思うのは誤りで、そのことがよくわかりました。歌と踊りと振り付けと、企画の中身も濃くて楽しい。4年前は何一つできなかったし興味もなかったな・・・と。
 写真の歌詞カードは、私たちお母さんが卒業を祝う会で披露する歌の一部です。脳みそがさびていてなかなか覚えられず、子どもが一生懸命教えてくれます。写真はお風呂の中で練習するのでビニールに入っています。
練習していても、言葉がつまって、歌えないところがあったりして、こんな風にしていたのかと、4年前のことを思うと感慨深かったりします。

 4年前には、事前も事後も本番も何一つ参加しないできない状況でした。
今高校一年の娘は、我が家のほかにどこか来てないうち探したけど、一件もなかったよと、今回怒られました。
「卒業を祝う会」のその日が、区長選後の初予算議会、唯一の有力対立候補を立てたなりの代表質問を展開するのに精一杯だったと記憶します。
 
 卒業イベント準備会に今回初めて参加した私は、「ごめんね、すまん!」というほかありません。
しかし、事前の練習も含めて、病気や仕事で参加できない人はいるわけで、意味贅沢な悩みなのかもしれません。

 私にとっては、もやもやしていたものがすっきりするような経験になりました。
難しい時代ではありますが、精一杯、子どもも私も、自分らしく生きていこうと思います。

yomiurishinbun今後は・・・


  添付の読売新聞にあるように、区長も、議会も意地をはれば、区民が一番不利益を
被ることになります。区民に信託された、石川区長と、現在のところ区民に信託された
区議会がどのように折り合い話し合えるのか、そこが注目だと思います。
予算修正は悪いことではありません。元我孫子市長の福嶋浩彦先生が千代田区の勉強会で
何度もおっしゃったように、議会と首長は二元代表制、だからこそ、区民利益のために、
可能な限り建設的な意見を戦わせていくべきなのだと思います。

 そのためには、首長も議会も反省すべきは反省する、今日より少し明日よくなるように
私たちに何ができるのか、考え、提案し、実現する、それこそが大切なことだと私は思います。

小枝すみ子

 

 


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